2012年6月13日水曜日

富士山を世界文化遺産にするため吉田口5合目までの廃小屋を撤去するというお話

山梨県の方は、ここ最近富士山を世界文化遺産にするために吉田口の5合目までにある茶屋跡などの廃墟を撤去するというニュースを耳にした方もいるのかなと思います。

このニュースを聞いて私が思ったのは、

「せっかくの文化遺産なんだからどうにか残せばいいのに。何を考えているんだ。」

ということでした。

私も多くの人に聞いて回ったわけでもないのですが、先日の新聞にもやはり似たような投書はありましたし、残したほうがいい気がするよね。なんて話を聞いたりもしました。

しかし私の考えにはこのことを語る上で最も大事なことが抜けていました。
それは

5合目までの吉田口ルートを登ったこともないし、問題になっている廃墟自体がどいうものなのかを見ていないということです。

夏に富士山頂を目指すためにも一度5合目まで登って距離感や傾斜などを掴んでおきたいということは考えており、報道では2012年7月の山開きまでに廃墟の撤去を行いたいなどと伝えられておりましたので、このタイミングしかないと思い、先日山開き前の吉田口ルートで富士山5合目の富士スバルライン駐車場までの往復登山を行って来ました。


その時のルートタイムなど山登りについては下記をご覧ください。

初めての富士山登頂の為のプレ登山(吉田口0合目北口浅間神社から5合目駐車場まで)

ここでは、吉田口登山道にある撤去を検討されている建物について書きたいと思います。

世界文化遺産の視察が夏にあるので、撤去も2012年の山開きまでにという話だったので、いささか急な感も否めず、どちらかと言えばそのことに疑問を持っていたのは先程書いたとおりです。


しかしながら、全体的に建物は朽ちてきているものが目につきましたし、建物だけでなく森についても荒れてしまっている感は否めませんでした。

正直言って、森が荒れていることのほうが建物が朽ちてしまっていることよりも悲しかったかもしれません。

人の手が入らない森というのは、光が下まで届かなくなりますから木が荒れてしまうのです。























上の写真は多分一合目にあった建物です。

左の写真は4.5合目の先?あたりにあった建物です。


建物についても、もちろん馬返しや小室浅間神社など富士山の文化や歴史を伝えるものは残していくでしょう。石碑などは朽ちること無く残りますし。

行政側もすべての建物を取り壊すということではないはずですが、一方で自分の目で見てみたら写真のようなもうどうにもならないだろうという建物が目についてしまったのも事実でした。

 ここまで潰れてしまったものを文化遺産として残すのはさすがに無理があるかなと私は感じました。

これを文化としたいのならば、こうなる前に残すことが文化であり、それを守ることが遺産になるわけで、こうなってから撤去以外のことを模索するのも違うのかなといった考えになりました。

左の写真は三合目にあった三軒茶屋の建物です。


右の写真は多分、馬返し手前にあった大石茶屋の跡だと思います。


もし仮に建築様式が歴史的なものであったとしてもこうなってしまっては見る影もありません。









貴重な文化財である二合目にある小室浅間神社の拝殿でさえ、立入禁止となっており修復するのも厳しいのではないかといった感じでありました。


最近は情報伝達手段の発達により、多くの情報に触れられるようになりました。
今回のように写真で伝えることや動画で伝えることもできるわけですが、逆に写真だからこそミスリードを誘うような恣意的なものを伝えるケースも少なくありません。

また、一方でツイッターなど手軽な情報手段の発達もあり未だ活字のみで伝えられる情報というのも少なくありません。

詳しく調べれば現実を目の当たりにした情報というのは手に入るわけですが、そのような行動は一歩踏み込んだ次のステップであり、日常に溢れる多くの情報に表面的な情報のみで物事を判断してしまっている場合も少なくありません。

今回自分で吉田口を登ってみてこれらを自分の目で見てきたことでたことで、自分は今日流れている多くの情報についても正しく理解できる人間だと思ってしまっていた節がありましたが、自身の都合のいい解釈をしていただけだったのだと思い知らされました。

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