2008年10月28日火曜日

いろんな人間、いろんな生き方

欧米の金融崩壊による世界同時株安、それにともなう円高、円高によるさらなる日本株の下落。
世界経済はこれからどうなっていくのか。そうなったとき日本の経済は?職は?食は?

これからの社会がまた以前のように金融を中心としたものになっていくのか、それとももっと根本である1次産業などにフォーカスされていくのか私にはわかりませんが、多くの人が自身の食(職)を始めとした生活に不安を抱えていることは確かです。

最終的に人として生きていく為に「食」を切り離すことは出来ません。お金が中心の社会が崩壊しても人が生きていく為には何かを補給しなくては生きていけません。
仮にお金中心の社会が戻ったとしても、そのことが「食」の安全に繋がる訳ではありません。むしろ混乱によりよるお金への執着から、さらに食への安全はないがしろにされ脅かされるかもしれません。

そのような状態では、「不安なくものを食べ続けられることが幸せ」と考える人が多くなるでしょう。昨今ですら人々の農業への興味関心は日増しに高まっていますが、さらに高まっていくと思っています。そうなったとき、国は、行政はどうしていくのか。

経済が危機的状況になった時、行政が今と同じように他の都道府県などからの人口流入を求めるのかどうか私にはわかりません。ただ、仮に経済危機に直面しその後立ち直るときが来ても、人がいない活気のないところから立ち直るとは思えません。そうなったときにはやはり人が必要なのです。

山村には、二束三文の価値で相続され放置され荒れ果てた土地がたくさんあります。住む人もいません。相続者が県内にいればまだいいほうです。そのような状態になっている土地をみれば、相続者が魅力ある土地であると思っていないことは容易に想像がつきます。
そのような土地を自治体が安く買い上げ(本当に安く。実際山の土地などは坪数千円などざらですが買手はいません)タダもしくは格安で住みたい人に提供してはどうでしょうか。転売や地目などに制限をつけ、購入者の居住および農業用に提供するのです。人は生活する以上コストが発生します。モノを買ったり服を買ったりしなくてはなりません。税金をたくさん落としてくれる大企業が税収などの面から考えていいのはもちろんでしょうが、そのようなところが簡単に来てくれるなら苦労はありません。

たいして価値のないと判断されている土地の固定資産税に期待するより、山梨に住んで農業をしたい人に住んでもらえば、人が増えて活気も出てきて、コミュニティによる互助的な社会システムも機能しはじめ、経済効果も生まれて、さらに食料自給率も上がる。
活気が戻れば、地場をもっとよくしたいと言う意見や欲求も出てきますし、それが雇用や経済にさらにいい影響をもたらすでしょう。

人口が増加し住むところがないという状態ならば違いますが、人口は減少し始め、土地もむしろ余っています。都市部はまだしも、山村の過疎化は深刻な状態です。
空いている生かされていない土地を埋めるだけで、税収の面だけではなく福祉やその他これまで機能してきた社会システムの維持にも繋がります。
これから人が減少してくれば、必ずこれまでは機能していたシステムが維持できなくなるといったことは起きてくるはずです。それを防ぐ為にも、まずは山村を中心で構わないので、希望者に提供していくような施策があればと思います。
自給率やシステム維持を考えた場合、県外からの定住者のみを対象とするのではなく、県内であってもそのような生活を希望する人は積極的に受け入れていくべきだと思いますし、その積極策が情報の伝達やさらなる効果を生むのではないかと考えます。

人々が、経済の破綻から人としてのベースをなす「食」への不安を持っている現状を行政はしっかり捉え、自然や農業などが中心となる山梨県への定住者を増やす為に、この時期を逃す手はありません。ここでの迅速な行政の行動が20年後、30年後の山梨県の将来を左右することになると私は考えています。職員の中に、議員の中に、そのような意識を持った人が少しでもいて行動してくれることを願っています。



2008年10月20日月曜日

歩け歩け東京

山梨を良さを伝える為にもしっかりとした評価基準を持ったり、違いを知ったりしなくてはいけません。
そんなわけで?東京ぶらり旅。

まずは皇居外堀から。
芝生や松の緑とオレンジや赤のコントラストがとても綺麗でした。
東京の秋もしっかり深まっております。
外堀


皇居日比谷方面からみた丸の内付近。
丸の内
休日、朝のオフィス街はひっそりしています。
でもそういうビルの森の中を散策するのもまたいいものです。


永田町の駅も人っ子ひとりいません。
無機質なビルや駅も人がいないだけでイメージがまるで変わってきます。
永田町


こちらは池袋サンシャイン通り。
都会の喧騒ではありますが、街と言うのはエネルギッシュなほうがいい気がします。
街や田舎のコントラストがお互いの魅力を引き立てるのだと思います。
サンシャイン通り


そして最後は新宿の夜景。この日は休日なので明かりも少なめ。
新宿夜景

森が朝露と朝日で輝くならば、ビルは電気と暗闇をもって輝きます。
人と自然、喧騒と静けさ、田舎と都会、ビルと森、夜と朝。

都会の中に自然を感じながら、田舎を思い都会に焦がれ。
街の持つ魅力、自然の持つ力。
東京も好きだけど山梨も好き。それで全然いいと思う。
個性を尊重することは、相手のいいところを見つけて認めること。街も同じ。そんな気がした。

2008年10月15日水曜日

身延山久遠寺と七面山を結ぶ赤沢宿

身延山久遠寺と七面山の間にある赤沢宿。

赤沢は日蓮宗総本山である身延山久遠寺と、霊山といわれる七面山を結ぶ参道の間にあり、古来より日蓮宗の信者や参拝客を迎える宿場として栄え賑わいをみせましたが、今はひっそりとその姿を国の重要伝統的建造物群保存地区として保持しています。
過去は豊富な木材資源を背景に、杣人や木挽きや大工など、多くの職人が育ち山村文化を形成してきたそうです。
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現在では旅館が1件と週末と平日不定休の蕎麦処が1件あるのみで宿場町としての活気はみられませんが、歴史ある宿場町の石畳や建物は周囲の静けさとともに、当時へタイムスリップするかのような環境を作り出しています。
akazawa1

脇を流れる春木川は糸魚川静岡構造線という日本を大きく分ける断層が走っており、フォッサマグナと呼ばれる東北日本と西南日本の境目とされる溝の西側にあたります。
フォッサマグナ自体は関東甲信越地方の下に形成されている窪地のことで、その深さは周辺の3000m級の山々の標高を足して考えると1万メートル近いともいわれています。その上に堆積した土の上で我々の多くの人々は生活しているということになります。
フォッサマグナ=糸魚川富士川構造線と間違うケースがありますが、糸魚川富士川構造線はあくまで線であり、フォッサマグナは面になります。

町の目の前には1982mの七面山が聳え立ち、標高差は1500m。このあたりから富士川周辺には、身延山の久遠寺を始めとして数多くの神社・仏閣が存在するのも、大地のぶつかり合う大きなパワーが衝突する場所がもつ地球的エネルギーに昔の人は神の力を感じ取り、人々を引き付け信仰されたのではないかと感じずにはいられません。自然の持つパワーを感じずにはいられない場所です。

写真は赤沢の少し上流にある七面山への登山口付近の春木川。
SANY3882.jpg

ここにはこれから七面山へ登ろうという人たちや参拝を終えた人たちが白装束で集まります。登山口付近にはいくつかの旅館があり、頂上付近にある奥の院でも宿泊は可能ですが、そちらは寺院でありあくまで修行の一環で観光旅館ではないので注意が必要です。

身延山久遠寺から久遠寺奥の院へ歩き、そのまま身延山から赤沢へ抜け春木川を渡って七面山へ登る。それが歴史の流れを汲んだルートで、そのためにも赤沢は重要な休息場所だったことでしょう。
そのような行程では赤沢もしくは登山口付近への宿泊が必要で、七面山の敬慎院まで含めて日帰りで登るのはなかなかハードかもしれない。1泊2日、七面山でも宿泊をと考えるなら2泊3日の行程になりましょうか。

登山というより信仰の意味が強いものになるが、自分を見つめなおす意味でも一度そのようなルートで身延山から七面山までを歩いてみたいです。
赤沢は早川町にあり身延山は身延にある。七面山のほとんどは早川町にあるが、山頂付近は飛び地で身延町になっており市町村界という意味では少々ややこしい。信仰のモノなので安易に観光地化することの是非はあるとは思うが、もう少し身延山と赤沢、そして七面山のもつ地球や信仰の歴史と組み合わせれば、十分に満喫する意味を持ち合わせるスポットになるのではないかと感じました。

2008年10月9日木曜日

富士川水運ならぬ富士川陸運、中部横断自動車道

この間まで私自身、中部横断自動車道の整備にはあまり積極的な意見を持っていませんでした。

清水までのルート、国道52号線は富士川沿いを走りカーブが多いこともありあまり効率的な道路ではありませんが、それ程多くの需要が生まれるとは想像していなかったからです。

しかしながら中部横断道が清水港まで自動車専用道路として繋がると考えると、山梨は中央道により東京を始めとして信越地方へのアクセスはよいですし、圏央道の開通により北関東へのアクセスもぐっと楽になりました。またなにより、清水港には8,000TEU積みクラスのコンテナ船の荷役が可能な新興津コンテナターミナルが完成しましたので、物流拠点や工場の立地場所としては悪く無いと思えます。
リニアが現実味を帯びてき始めた今、そのルート上にあることも大きなメリットです。

そしてなにより山梨は海に面していないため空気中のナトリウム濃度が低いため、日本が強い分野である高い技術力が要求される精密技術工場に適していると聞いたことがあります。

パイオニアを始めとして、大手の工場の撤退が続いていることは大変残念ですが、撤退していった企業が抱えていた山梨での最も大きな問題を解決できれば、山梨にはまだ大きなチャンスが残っていると考えています。

観光は手軽に現金収入が見込め美味しく思えるかもしれませんが、時期による変動も大きく、流行にも大きく影響を受けます。なにより娯楽産業になりますので、どうしても景気の影響を受けて手始めにカットされてしまうてしまう分野になります。そうなると雇用や生活はどうしても不安定にならざるを得ません。

実は山梨県には地元の人もあまり知らないようなよいスポットがたくさんあります。県内の雇用や生活基盤をしっかり築けば、県内観光の需要も必ず生まれます。それがインターネットなどの情報に乗って県外の方々にしっかりと着実に伝わっていくはずです。

そのために県や市町村は企業の担当者への情報発信やヒアリングを欠かすことなくしていき、問題の解決に努めて欲しいと思います。



2008年10月7日火曜日

偉大な地元の起業家、根津嘉一郎記念館

東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関り、「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎の記念館が10/11(土)に復元され開館するとのことで一足早く視察してまいりました。
蔵と家屋

根津氏については、万力公園に大きな像があったので存在ぐらいは知っておりましたが、ビジネスマンとして数々の功績を残されました。
中庭1

敷地内にはほぼ当時から残っている国登録有形文化財である旧主屋と、新しく復元された建物、そして蔵のような展示室と綺麗な庭が広がります。
庭

庭はとても綺麗です。老後はこんな感じのところでのんびり過ごしたいそんな感じの庭です。
もう30年?とか前に来たことがあるというご近所の?おばあちゃんなども来ておりました。

鉄道王とも呼ばれておりましたが、地元山梨にももっと鉄道を造っておいてくれればなんて思ってしまったりもしました。
山梨県出身の実業家は過去を含め結構多いと思うのですが、なぜ地元にて発展を遂げなかったのか。山梨の土地柄がそうさせてしまったのか、規模的に難しかったのか。

ちなみに入館料は10/11(土)からは大人300円です。
こんなに綺麗に復元してくれなくても、ひっそりと今ある文化財としてしっかり保存してもらって100円とかでもいい気がします。
その分、当時の歴史を周囲のお寺や文化と織り交ぜてしっかり伝えることで、町全体をテーマパークであるかのような感じでまわってもらうことは出来ないでしょうか。
町の中に当時とともに伝えられるものがあるのかどうかはわかりませんし、多くの町でそのようにして必死に観光をアピールしているのも知っています。
なので珍しさも無い地味なことだとは思いますが、綺麗に復元してもどうしても地味であることは否めません。誤解して欲しく無いのは、彼の功績がたいしたこととかそういうわけではなく、お城とかではなく立派な家なのでどうしても地味になってしまうかなと思いました。

修復をして、はい出来ました。来て下さい。だけじゃ薄すぎる気がします。
もっと歴史を、読み進み、実際に尋ねたくなるようなストーリーが欲しいなと。